花のような人

 その少女がどこでそれを手に入れたのかは知れなかったが、犬は怒鳴り散らして捨てるように喚いた。それは少女が手にしていた日に焼けてくすんだカバーのない本が気に入らない、という訳ではなく、日々少女に喚き散らす事を習慣化してきたせいで考えるより先にそうしてしまっていた。
 眼帯をした黒髪の少女は、鼻を上下に割るようにくっきりと傷跡の引かれた痩せ狼みたいな顔の少年がどんなにか怒鳴っても、黙って本のページをめくり続ける。少年は怒鳴るだけで、手を出してこない時は本当に不快に思っている訳ではない、と理解しているかどうかはよく解らないが、とにかく少女は行動を邪魔されない限りはそれを止めようとはしない。
「だいたい、お前それ読めるんれすか!?」
 犬のその言葉に、ピタリと髑髏の手は止まった。眼帯に覆われていない目が細められ、唇は歪められ、眉間には皺ができた。
 少女の手にある古い本に印字されているのは、ローマ字でしかしその綴り方は英語ではなく、かといって髑髏が習いはじめたばかりのイタリア語でもない。頻繁に細密な花の挿絵が挟まれていて、それがとても美しいが、内容はひとつも理解できてはいない。
 一向に静まらない騒ぎに、背の高い少年がひどく億劫そうに立ち上がって少女の手から本を器用そうな長い指をした手で取り上げた。髑髏はその手がひどく痩せていると常々思っている。犬だとて似た様なものなのに、なぜか千種の手は”痩せている”と強烈に感じさせる存在感がある。
 本を片手にもった青年は、空いた手で眼鏡を少し上げ知らない国に言葉を話した。犬と髑髏はそれがはじめなんなのか解らなかったが、少しして千種がページをめくったので彼が本を朗読しているのだと気付いた。
 やや低めの千種の声は流暢に単語を紡ぎ出す、相変わらず意味は解らなかったが髑髏はその内容が本の挿絵にぴったりなのだと感じ、犬は躊躇無く
「柿ピー、意味わかんないれす」
 といった。
「フランス語だよ、花言葉とその由来が書いてある。」
 そう言うと千種は本を髑髏の手に落とす様に戻した。戻って来た本を手に
「今は、なんの花の話?」
 ページをめくりながら訪ねた髑髏に、千種はあるページの所で指を置き
「ひまわり」
「花言葉は?」
「『貴方は素晴らしい』『崇拝』」
 ふうん、と髑髏は本の隅に細やかな線だけで描かれたひまわりをみつめる。フランス語の文を読める筈もない、犬はもう興味を失ったようで携帯ゲームの電源をいれた。

 それから数日間、暇をみつけては髑髏はあの本とフランス語辞典を一緒に開いてノートに拙い訳を綴った。
 千種の読んだひまわりの章だけを約し終わった後、自分でも気付かないうちにぽつりと呟いた。
「骸様みたい」
 太陽神アポロンに恋焦がれたニンフ(水の精)は、思いを伝える事も出来ず、その身を花に変えて愛しい人を想い続けた。
 その鮮烈な眩しさが自身を焼くと知りながらも惹かれずにはいられなかったニンフは、自分の主である男に似ていると・・・。


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