接触体温

 偶然とか必然とか運命とか恋とか愛とか、そこに何でもいいから名前を付けてしまえば、まるで陳腐な恋愛ドラマかなにかのように簡単だったと思う。生憎そんなにロマンチストではないと信じているオレは結局、そこに名前も付けずに置き去りにした。
 大分マフィアらしい生活を淡々と過ごせるようになったある日、酒の勢いを借りてその事を山本に話したら『それこそロマンチストだ』と優しい目で言われてしまった。とてもプライドが傷ついたけれど、拳で殴っても山本がなんのダメージも負わない事は知っていた。色んな事を琥珀色の液体と一緒に飲み干した。癪に触るが気の利く山本は、すぐに最近の大リーグがどうこうとオレがさっぱり興味の無い話を振ってくれるから、それに甘えてオレは昔と何らかわりなく悪態を付いていられる。



 その日は、十代目はリボーンさんに呼び出されて一人で帰られて、山本はいつもどおりに部活で、それ以外につるむ相手の居ないオレは一人でふらっと商店街をブラついてからマンションに帰るつもりだった。商店街なんか覗かなきゃ道路工事で塞がった道を戻ってあの駄菓子屋の前なんか通らなかったのに、その日は用もなかったのに一人だったのがなんとなく手持ち無沙汰で、余計に人恋しくなるだけの活気のある商店街をふらついてしまったばっかりに、不本意な相手と対峙する羽目になった。
 マヌケな帽子を被ってムカつく長身の背を丸めて制服のポケットに手を突っ込んでる後ろ姿ですぐにそれが柿本千種だと解った。六道骸が霧の守護者になろうが、未だこいつ等が十代目にとってよくない存在なのには違いない。それにこいつには痛い目に遭わされていて、十代目を襲った事だってある。だからオレがボムを取り出して睨みをきかせても全く違和感はない。だというのに
「めんどい」 
 やるか?と言って返された言葉はそれだけ。オレは当然怒ったが、奴はそんなオレをシカトして歩き出してしまった。背後から敵意のない相手を襲って騒ぎを起こしては十代目に失望されてしまう。そこまで考えが及んだのだからオレはそのまま相手に背を向けてとっとと家に帰るべきだった。
 待てよ!なんて言ってあいつを追いかけるなんて本当にその時のオレは何を考えていたのか解らない。多分、なんにも考えて無かったんだろう。強いて言えば寂しかったのだ。オレの世界はひどく狭くて、十代目と山本がいないだけですぐに孤独になってしまうから・・・山本の言うとおりやっぱりロマンチストなのかもしれない。
 それで、まさか呼び止めたら本当に立ち止まるなんて思わなくて振り返ったそいつに何を言っていいのか解らなくて、レンズの奥にある死んだ魚みたいな真っ黒いだけの視線をうけてマヌケに咽を鳴らして唾を飲み込んだ。
 固まったオレにあいつは何を思ったのか近づいてきて、買い物袋から合成着色料で半透明な緑色に染まった液体をやすっぽいビニールチューブ一杯に詰めたモノを出してオレに突き出した。なんだかよくわからないがそれを受け取る時に触れた指があんまり冷たくて、それに驚いて手を引っ込めてしまったから、ジュースの入ったチューブはアスファルトへ落下。
「あ・・・わりぃ」
 咄嗟にでた言葉は情けなくなる弱々しい声で、別にと言いながらジュースを拾い、汚れを軽く叩いて再びオレにつきつける柿本千種に対する申し訳なさというより、自分の情けなさに絶望していて大人しくそれを左手で受け取り、右手でつきだされたやつの手を掴んだ。やっぱり冷たくて、せめてオレの体温が伝わって少しくらい暖まればいいのにと、その時はひどく本気で思ったのだ。
 その時はひたすら真剣な顔で握ったあいつの手を見ていた。女みたいな柔らかさが全くない、実に男っぽい手で筋張ってて指が長くてピアノをやるには少し柔軟性に欠けるだろうか?とかそんな事をつい考えてしまった。中指の爪が割れて赤くなっていたのが痛々しくて、中々そこから視線を上げられなかった。
 だからあいつがどんな顔でオレに手なんか握られていたのか、オレは永久に知る事はないだろう。
 ほんの少し、オレの体温が移ったかもしれないと思った瞬間。あいつはくるりと踵をかえしてしまった。意識して強く握っていた筈のオレの手はあっさり離れてしまい、左手にビニールチューブと右手にあいつの低い体温の感触しか残らなかった。
 もう一度声をかけて追いかけても良かったはずなのに、オレはそこから動けなくて左手に残ってたビニールチューブの先を噛みちぎって中身の甘いだけの砂糖水を勢い付けて飲み込んだら咽せて咳き込んだ。

 そういえば、一度もこっちを振り返らなかった。礼も言ってない。判然としない感情と一緒に、自販機の隣にあるアルミ缶専用のゴミ箱の中にチューブの残骸を突っ込んでオレは家に帰った。

 なにもかもそれっきりにしたつもりだったのに、原因もわからず過去に引き戻されたオレは積もり積もった不安に蓋をしてアイツを探してあの駄菓子屋に向う。


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