すべての光に呑まれること

センチメンタル



 並盛中学校の入学式から二週間近くが経ち、真新しい制服に身を包んだ新入生達も新しい校舎とライフスタイルになんとなく慣れはじめた頃、その生徒の噂は全校生徒が詳細を知るに至っていた。
 雲雀恭弥、通称ヒバリ。
 入学早々、風紀委員会を相手に単身で勝負を挑み、たった半日で勝利を収めてしまった新入生。二週間足らずの間に風紀委員のメンバーは全て入れ替わり、教師ですら彼らに口を挟む事を躊躇する様になっており、彼は並盛中学随一の権力者として全ての学校関係者に畏怖の視線を向けれる存在だった。
 たかだか一生徒のこの増長ぶりに関し、水面下で行われた交渉や工作などについて言及する若い教師がいたという話もあったが、この頃にはただ”風紀委員会の権力は絶対”という事実以上の事が話題に上る事は、もうなくなっていた。
 並盛市設立にも関わる権威者や、いわゆるヤクザが絡んでいるという話も無くはなかったが、深く言及するもは現れる前に消え、この異常事態にも新入生達はすっかり馴染んでしまっていた。
 漆黒の学ランの袖に風紀委員長の腕章をつけた学生が廊下を通る時、誰もが進んで道を開ける。やすっぽいリノリウムの廊下の真ん中を悠然と歩く事は、ヒバリにとってはなんでもない日常となり、彼に話かける者はほとんど皆無だった。

「ヒバリ!!」

 ほとんど怒鳴り声にも近い無遠慮な声に、ヒバリは眉間に皺を寄せて反射的に仕込みトンファーに手をかけようとして、やめた。
 かわりに声をかけてきた相手に振り返り
「何?」
 無感動な声で問いかける。半ば諦めの込められた、しかし、十分に鋭い視線を向けられた相手は全く怯む事無く大げさに手を振って駆け寄って来た。
 規定通りのブレザーは若干大きく、まだ硬く皺もすくない。同じく皺の少ないワイシャツの襟の辺りには、本当によく目を凝らさなければわからないがうっすらと滲みがある。第一ボタンが外れ、緩んだネクタイが目に入るとヒバリは更に目つきを鋭くさせた。
 そんな視線の変化にも気付かないのか、ヒバリに声をかけた相手、笹川了平はバンテージの巻かれた手をやけに動かしながら、教室の奥にまで届く音量でヒバリをボクシング部へ勧誘するのだった。
 それに対して、ヒバリは先ず了平の服装について注意し、了平はいわれた通りに直そうとするのだがネクタイを結ぶ手は覚束ない為、ヒバリが仕方なく結んでやる。すると了平は、ネクタイを締めていないのにも関わらずヒバリが実に器用にネクタイを結ぶ事に感心して、それをそのまま口にしてヒバリを褒める。ヒバリは悪い気はしないので、適当に相づちを打ってやる。
 それでその後、了平はまたボクシング部に入らないかとヒバリを誘い、ヒバリが何か言う前に前日に了平がみた学生ボクシングの試合のビデオテープの話を始め、それが終らない内に今度は授業開始の予鈴が鳴るので、ヒバリがそれを指摘する。
 了平は素直に引き上げる。

 ヒバリは、連日(と言っても、ヒバリが校舎内を歩いているのを了平が見つけられた時に限る為に実際には2、3日に一度)くり返されるこの一連の行為も習慣の一つになっていた。
 ヒバリは何よりも自由と並盛という土地を愛していて、他人が自分の生活に侵入する事を何より嫌悪していたが、あの無遠慮で騒がしく好戦的な、しかし実に素直な一年生については許容範囲となっていた。

 最初に出会ってから了平がヒバリの名を知るのに2日もかからなかったが、ヒバリが了平の名を知るのには半日もいらなかった。
 ヒバリは兼ねてから腹心として付き従っていた男に
「あの色素の薄い短髪のボクシング部一年って誰?」
 草壁は優秀だったので、その日の放課後までに笹川了平の名前とクラスと家族構成と自宅の場所と出身小学校、それに小学校時代から彼が関わった一通りの暴力事件(事件といっても子供同士の喧嘩がほとんど)についての資料をつくり、ヒバリへと報告した。
 ヒバリは最初、それを珍しく熱心に聞いていたが次に了平に会った時、短く刈った色素の薄い髪が太陽光にキラキラと反射して光っている事ばかりに気がいっていたので、せっかく草壁が調べて来た事などひとつも思い出さなかったし、その後はすっかり忘れた。

 春の穏やかな日差しに包まれる頃、了平はヒバリと呼んで、ヒバリは自分を呼ぶ相手が笹川了平だと知っていた。


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